毒親について

私は、両親と20年くらい会っていません。

会いたいとも思いません。

18歳の時に家を出て、それから数年間は、1年に1回くらい帰省することがあったのですが、泊まることはありませんでした。

 

私は、いわゆる貧民街で育ちました。

2Kのアパートに5人家族が住んでいました。

父はあまり働かず、母は専業主婦のくせに、そんな父の稼ぎの悪さに文句ばかり言っていました。子供達の前で。

 

母親は、結婚時のなれそめについても、聞いてもないのに、話してくれました。

好きでもないのに結婚した、すぐに離婚する予定だった、でも働くのは嫌だった。

今では、あほかと思います。

でも子供は、母親のいうことにかなり影響されます。

 

だから、子供心に、父親はだめな人間なんだ、嫌な人間なんだとインプットされていました。たしかに、ずっと家にいて、一日中テレビを見ているような父親でした。お金がないから、パチンコも競馬もやらない。でもお酒だけはよく飲んで、酔っぱらうと時々殴られました。

そんな感じだから、家はいつも貧乏で、洋服はいつも同じもの、靴は1年に1足買ってもらえるという感じでした。ガス代がもったいないから、3日に一回しか風呂に入れず、自分の体が臭いことを知っていました。もちろん、家に車などなく、どこに行くにも、自転車でした。外食したのは、5回くらいかな。

 

また母親は、買い物が趣味で、1円でも安いスーパーがあったら、どんなに遠くても歩いて買い物に行く。そこで余計なものまで買ってくる。だから、どんどん貧乏になり、狭い家の中は、ごみ屋敷寸前の状態でした。

 

もっと暴力をふるってくれたら、もっとごみ屋敷になってくれたら、いっそのこと離婚してくれたら、この家から出られるかもしれないのに。そう何度も思いました。

 

小中学生の頃は、全てが中途半端でした。この程度なら、児童保護の対象にもならないし、かといって、非行に走る勇気もないし。唯一がんばったのは勉強かな。おかげで、そこそこの高校に進学することができました。

 

でも高校に入学しても、母からアルバイトを禁止されました。アルバイトをすると非行に走ると思ったようです。かなりおかしい考え方です。でも、その頃には人生を半分諦めかけていたので、ただなんとなく過ごしていました。本当にもったいないです。高校時代、部活もせず、アルバイトもせず、かといって勉強に励むわけでもなく。

 

この頃、母からは、「うちの家から大学進学なんて無理に決まっている。そんなんおかしい」と言い続けられ、今から思えば洗脳されて、大学進学は諦めていました。

 

高校卒業時、独身寮のある仕事を探しました。そして見つけました。

でも、そこからも地獄でした。毎日のように、母が寮母さんに電話をかけてきました。それも、私がいない時間を見計らって。寮母さんも暇なのか、その電話につきあっていました。やがて寮中のうわさになり、恥ずかしくて死にそうでした。

転職したら、今度は会社に電話をしてきました。今度は本当に死のうと思いました。新潟まで新幹線で行き、北海道行きのフェーリーに乗りました。飛び込もうと思ったけれど、怖くて飛び込めませんでした。

 

そんなこんなで、自分も40代。

親になったことで、「自分に愛する能力があること」を知ることができました。

そして、子供がいたことで、たくさん楽しいことを経験できています。

 

今はまだ小学生。とてもかわいいけれど、反抗期は来ると思います。

そんな時に、「誰のおかでで飯食えてんのや」とは絶対に言わないようにしたいと思っています。

 

子供は親を選べない。

息子が、「パパがパパでよかった」と思ってくれるような親であり続けたいと思っています。